大丈夫なんて全部嘘

チャットモンチーとわたし

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はじめて行ったライブハウスがチャットモンチーの生命力みなぎりツアーの浜松窓枠だった。今から10年前の2007年12月11日の冬。わたしは18歳で対バンというものもよくわからなかったしライブマナーも知らなかったけれど彼女たちに会ってみたかった。満員電車も知らない当時のわたしはチケットを取ってくれた姉と共にぎゅうぎゅうに押されながらも必死に彼女たちの姿を見ようと頑張った。そんな中でも「素直」をくみこんがクラリネットを吹いてえっちゃんとあっこちゃんが連弾で伴奏して歌ってくれたのが嬉しくて今も覚えている。

確かチャットモンチーを認識したのはJAPAN COUNTDOWN のエンディングでハナノユメが流れてたのを聴いた時だった。声がすごく好きだなと思ってそこから少しずつ聴くようになった。見る見るうちに彼女たちは売れて有名になった。ずっとレンタルで聴いてたわたしもバイトの給料でCDを買った。告白の発売日が専門学校の卒業式の日でわたしは卒業式なんかより早くCDを買いに行きたくて帰り道にそのままタワレコへ向かった。

はじめて行ったフェスが2009年のSWEET LOVE SHOWER でこれもチャットモンチーが聴きたくて行ったようなものである。ラブシャにはかれこれ9年連続で行っていて彼女たちがわたしのいろんなはじめてのきっかけになっていたことに今になって気付いた。

くみこんが脱退発表した日はメンバーコメントを見てぼろぼろ泣いた。3人のチャットモンチーが大好きでつい数日前にライブへ行ったばかりだった。その日の感想をわたしはメモで一生ついていきますと残してた。わたしの中に不安と寂しさを残したまま2人で活動再開したチャットモンチーは想像以上に力強かった。久しぶりの出演となったミュージックステーションでの満月に吠えろを泣きながら見た。それはわたしの好きなチャットモンチーだった。

2015年11月11日。チャットモンチーの2度目の武道館。はじめての武道館の時は東京のことも武道館という場所がどれくらいすごいかも当時の彼女たちが記録を塗り替えたことも何も知らなくて行ってみようとも考えなかった。それから7年半が経ち、わたしにとって武道館で見るライブは特別なものになっていて最初の武道館のDVDも何度も見ていた。10周年と記して行われたそのライブはチャットモンチーと生きた10年を振り返るようなライブだった。ずっと好きでいてよかったと思った。嫌いになんかなれない。

そしてチャットモンチーが2018年7月に完結する。
当たり前のようにずっと続いていくのだと思ってたが彼女たちは完結させる道を選んだ。
笑顔でゴールテープを切る彼女たちを応援したいのに今から最後のライブはどこだろう、最後に演奏する曲はなんだろう、と考えてしまって思わず涙腺が緩む。昨日の朝、わたしは変わらずチャットモンチーを聴いて通勤してた。それくらいずっと10年以上わたしのそばにあるものだった。

東京ハチミツオーケストラを聴いて東京に夢と憧れを抱いた。22歳の時に母と祖母に駅まで見送られ泣きながら片道切符を聴いて電車から海を見た。大人になってたまにヒールを履く日はツマサキを聴いて出かけた。大人になってメッセージの歌詞の意味がわかってから冬になると必ず聴いた。春夏秋で冬を待ってるうちに冬がきて湯気を聴いて春を待った。バスロマンスは絶対結婚式で使いたいと友達と語った。親知らずを聴いて実家に帰ると必ずご馳走があった。帰り道にミカヅキを聴けば1人でも寂しくはなかった。染まるよを聴いてから数年後好きになった人の煙草の匂いは嫌いにはなれなかった。8センチのピンヒールで駆ける恋をした。CAT WALKのある一節を新しいiPodに刻印した。あいかわらずはわたしの10代で自転車をとばしながら何度も聴いた。また近いうちにを聴いて嫌いだった故郷が好きになった。謹賀新年を聴いて新しい年を迎えるようになった。誕生日の夜はバースデーケーキの上を歩いて帰った。草原に立つ二本の木のように自分も春に花を咲かせたかった。ふたり、人生、自由ヶ丘を聴いて戻れない過去に感謝した。東京でいたちごっこしてるわたしは鈍感ではいられなくて純粋では報われなくて帰れないふりをしていて何度も泣いたけどそれでもやっぱり東京が好きだった。majority bluesを聴いて夢を見るようになった16歳のわたしもさよならの味を知った22歳のわたしもここにはいないけどまだ見ぬ私がいた。


全部全部わたしの青春だった。


サラバ青春